日本肢体不自由児協会は家族と社会の間にたって、家族を支援し、社会を啓発し、肢体不自由児が 最も恵まれた環境にいられるようさまざまな事業を行っています。

日本肢体不自由児協会とは

理事長あいさつ

ごあいさつ

日本肢体不自由児協会理事長
遠藤 浩
日本肢体不自由児協会理事長
遠藤 浩

 社会福祉法人日本肢体不自由児協会は、高木憲次博士が初めて提唱し、実践した「肢体不自由児の療育」の理念を礎に、障害のある子どもたちが個人の尊厳を保持しつつ、心身ともに健やかに育成され、地域社会で自立した生活を営むことができるように支援することを目的として様々な事業を行っております。障害のある子どもたちとそのご家族を支援する事業、社会に働きかけて啓発する事業などに取り組むとともに、国から運営委託された「心身障害児総合医療療育センター」において、肢体不自由児など障害のある人たちのニーズに的確に対応した医療・福祉サービスを提供しています。昭和43年からは常陸宮正仁親王殿下を総裁に戴いております。

 当協会の歴史を振り返りますと、当時東京帝国大学医学部教授であった高木憲次博士が当協会の前身である財団法人を設立し、各界から募った寄付金を基に現在地を購入され、昭和17年5月に「整肢療護園」を開園したのが始まりです。

 翌18年4月には、戦時体制下で設立された国策団体の「日本医療団」に整肢療護園が吸収されたことにより財団法人の解散を余儀なくされ、空襲により整肢療護園の施設の大部分は焼失してしまいました。終戦後、日本医療団の解散と清算の過程でその財産は厚生省に移管され、かつての財団法人が所有していた財産の返還は叶いませんでした。

このため、高木博士は国に対して「治療・教育・職能」の三位一体が可能な肢体不自由児施設の設置を強く働きかけた結果、国はモデル施設として施設を建設し、てその運営を当協会に委託することとなり、昭和27年1月30日に整肢療護園を再開することができました。

 昭和42年には、児童福祉法改正による重症心身障害児施設の法定化に合わせて国が整備した重症心身障害児施設「むらさき愛育園」の運営が当協会に委託されました。

 昭和55年には、整肢療護園及びむらさき愛育園の統合と外来療育部の新設により「心身障害児総合医療療育センター」に改組され、肢体不自由児療育の領域で先駆的かつ中核的な役割を果たす施設として成果を積み重ねてきています。

 当協会は、上記のような施設運営のほか、昭和28年から今日に至るまで、全国の支部協会とともに「手足の不自由な子どもを育てる運動」を毎年11月に全国的に展開し、本年で67回を迎えます。この運動は、寄付金募集活動とともに、肢体不自由児療育思想の普及をはじめ様々な事業活動を展開してまいりました。

 その中に、高木博士のご遺徳を記念して創設した「高木賞」、上皇皇后陛下が高等学校時代にお作りになった詩「ねむの木の子守歌」の著作権を肢体不自由児事業振興のために当協会に下賜されたご意志を永く記念するために創設した「ねむの木賞」という二つの賞を毎年贈呈しています。前者は、肢体不自由児の療育の分野で顕著な功績のあった者(団体)、後者は、学校や福祉施設で長年にわたり障害児・者の日常生活指導などに携わり優秀な成績を修めている女性を対象にしています。これらの贈呈事業は、平成28年度で共に第50回を迎えましたが、令和の時代に入っても当協会の事業の柱となるものです。

 このほか、昭和32年から小学生から高校生及び青年期に至るそれぞれの年代に対応して、集団宿泊療育訓練・指導を行うための療育キャンプ、昭和57年からは、身体の不自由を補う工夫をしながら創作活動に励んでいる方々の作品を全国から募集して、毎年12月の障害者週間を中心に「肢体不自由児・者の美術展/デジタル写真展」を開催しています。また、全国的な療育の質向上に寄与するために、医療や福祉の従事者、教職員などを対象とする各種研修会の開催、療育図書の刊行・頒布のなどの事業も行っています。

 当協会といたしましては、心身障害児総合医療療育センターが肢体不自由児療育の領域におけるナショナルセンターとして障害保健福祉行政の推進に大いに寄与できるような施設運営に努めるとともに、多様な事業を充実・発展させ、共生社会の実現に貢献してまいります。

 関係者の皆様方に置かれましては、今後とも当協会と支部協会にご支援ご協力を賜りますようお願い申し上げます。  

令和元年7月